above all   中編



 巨大な羽音が、ギブソン・ミモザ邸の庭に降り立った。
 ギブソンは読んでいた書物から顔をあげた。彼の後輩達が居候をしていることにより、館はずいぶんにぎやかになったが、その後輩達は現在はファナンに滞在しているはずだった。そうでなくとも、こんな突然の来客の予定は、ない。
「先輩っ、先輩っ!」
 いぶかしく思うまもなく、館のドアが激しくたたかれる。叫ぶような声は、彼の後輩のもので。
「どうしたんだい、マグ……」
 何が起きたのかと思案しながらドアを開けたギブソンは、思わず息をのんでいた。出迎えた彼が見たものは、動かないネスティと血にまみれたマグナの顔だったから。
「何があったんだい!?」
「ネスがっ……!!」
 その先は言葉にならず、とぎれさせてしまう。だがその必死な表情で、事態の深刻さは、理解することができた。
「ネスティが怪我をしたのかい!?」
 それでも確認のため問いただすと、
「俺のこと、かばって……!」
 悲痛な声で答える。瞬間、ギブソンはよけいな質問をしたことを後悔したが、後悔するよりも召喚術の行使を優先させる。
「ジラールの名においてギブソンが命じる……天使、エルエルよ!!」
 急いでサプレスから上級天使を呼び出し、ネスティの治療に当たらせる。
 上級天使の癒しの術によって、徐々に傷が塞がっていく。マグナは祈るように瞳を閉じた。何もできない、ふがいなさをかみしめながら。
 あの時もう少し周囲に気を配っていたら、もっと早くに反応できていたら。
 後悔したところで、何が変わるわけでもないとわかっていても。
 一度現実を、己をかばって兄弟子が傷ついたと言うことを認めてしまえば、後悔せずにはいられなかった。
「……マグナ」
 キブソンがマグナを呼ぶ。
 だが、どんなに呼ばれてもマグナは固く閉じた瞳を開くことができずにいた。開いたときに、何が映るのかが怖くて。
「ネスティの怪我はだいたい塞がったよ。後は……彼が目覚めるのを待つしかない」
 ギブソンの言葉に、ようやくおずおずと目を開く。服は破れ、血に汚れながらも、確かに傷自体は完璧に塞がったように見える。しかしその顔色は、相変わらず紙よりも真白いまま。
「ネス……」
 ギブソンはネスティを見つめたまま動けないマグナを痛ましげに見つめた後、そっと声をかけた。
「マグナ。いつまでもここにいても仕方がないよ。とにかくネスティを部屋に運ぼう。その後で話を聞かせてくれるかい?」
 マグナは瞳を伏せ、ギブソンとは視線を合わせないまま、小さく頷いた。
 それからギブソンは物置から担架を出し、二人がかりでネスティを部屋まで運ぶ。
 その間マグナは 一言も発せず、ネスティを見つめ続けていた。己の傲慢の結果をしかと刻みつけるかのように。
 ようやくネスティをベッドに運ぶと、ギブソンが静かに言った。
「それで、何があったんだい?」
 マグナは視線をあげることもせず、黙ったままネスティを見つめ続けている。
 しばらく待って、ギブソンが返答をあきらめた時、ようやくマグナがつぶやいた。
「草原で、デグレア兵と遭遇して戦闘になったんです……。それでネスが、俺をかばってまともに敵の攻撃を食らって。……俺が、油断していたから。俺の、せいで……」
 何処までも何処までもマグナは己を責め続けた。
「そんなことを言うものじゃないよ。何よりも悪いのはデグレア兵を操っているメルギトスだ。それを、間違えたらいけない」
 ギブソンは優しく諭したが、マグナは黙ったまま小さく首を振った。
 今のマグナには何を言っても無駄だ。ギブソンは小さく嘆息した。
「それじゃあ、今、他のみんなはどうしているんだい。アメル達とは一緒じゃなかったのかな」
 その言葉にマグナははっと顔をあげる。
「あ、アメルとは別行動でした。だけど、リューグ達はっ……」
「まだ戦っている……と」
 マグナはギブソンには答えず、立ち上がろうとし、そこで停止する。
 拳はきつく握りしめられ、今にも血がにじみそうだった。体が小刻みに震えている。まるで、何かを恐れるかのように。
「どうっどうしよう……おれ、俺は……!」
 何がマグナを動けなくさせているのか。
 仲間を助けるために浮かした腰を、その場にとどめようとしているのは何なのか。
 ……それは、訪ねなくてもわかる気がした。
「おれ、は…………………………………………………………………………………………… …………………………………………………………………………………………行けない」
 ゆっくりと拳が下がる。だが、握りしめられたままの拳が、開かれることはなく。
「わかってるのにっ いま、ここで俺ができることなんて何もないってわかってるのに!」
 大切な兄弟子と、大事な仲間と。選べないものを選んで。それ故の悲鳴だった。
 ぽたり。
 血が、落ちる。握りしめられた拳から。
「私が行こう。……だから、自分を傷つけるのはやめるんだ」
 キブソンが立ち上がり、マグナの拳を優しくつかむ。
「あ……」
 すがりつきたくて、だけどそれを自分に許して良いかわからなくて。マグナの瞳が揺れた。その口が何か言葉を放とうと開きかけた時、
「その必要はないわ」
 りんとした声が響く。
「ミモザ!」
「そんな魔力空っぽのギブソンに行かせるくらいなら、私が行くわ。それなら安心よね、ボク?」
「一体、いつ帰ってきたんだい?」
 ギブソンがあわてたようにミモザに向き直る。しかしミモザはそれを軽くあしらった。
「そんな話は、あとあと! 今はあの子達を助けに行くのが先でしょ?」
 ミモザは具体的な場所を聞き出すと、足早に立ち去った。
「……すみません、ミモザ先輩」
「マグナが謝る必要はないんだよ。ミモザも僕も、自分が助けたいから助けようとしているのだから」
「……」
 答えられる言葉はなかった。


 静かな室内でマグナはネスティと向き合っていた。
 傷口から細菌が入ったのか、発熱が始まっている。
 タオルを代え、汗を拭く。
 熱にうなされ、苦しむ兄弟子をただ黙ってみているのは苦痛でしかない。だからこそ、マグナは懸命に世話をした。たとえ熱が出ているとしても、反応すらなかった最初の時より状況が良くなっていると信じて。
「…………ネス……」
 ただ名前をつぶやくことしかできなくて。
 熱のせいで浮き出る汗をぬぐいながら、マグナの瞳からは涙がこぼれていた。
 ギブソンの見立てでは傷の深さの割に、重要な血管や神経は傷ついていないとのことだった。ただし、それは人間の場合なら。
 彼とて医者ではなく、見立ては経験からの憶測にすぎない。それが人の体でないというなら、なおさら判断はつかなかった。
 そして人でないが故に、医者に診せることもできない。ネスティが融機人であるということは、隠さなければならなかったから。
 できれば、なりふり構わず、医者に診せてしまいたい。
 だが、あれだけその素肌を見せるのを嫌がっていた彼のことを思うと、どうしても踏み切る事ができない。……人間の医者に診せたところで、融機人の怪我についてわかるわけでもないなら、なおさらだった。
 けれど医者ではなく、まして癒しの奇蹟が使えるわけでないマグナには見守ることしかできなくて。
 祈る。
 神様なんて、いると思ったこともない。どんなに腹を空かせても、パンの一つも得ることができなかった時から。何もしないで助けてくれる存在なんて、いるはずもないのだと。
 けれど祈る。
 大切な人の目覚めと、仲間の無事を。

 頼むから。何も失われることがないように、祈るから。
 差し出せるものは全て差し出す。もう一度ネスの、みんなの笑顔が見れるなら他の何を失っても、俺は良いから。
 ずっと当たり前だと思っていた、心地よい居場所。たとえ何が起きても、変わらない笑顔で受け入れてくれる人。
 知らない大人に囲まれて。右も左もわからなくて。世界から拒絶されたように感じていた。
 だけど、会えた時から全てが変わった。どこか懐かしい、ずっと前から知っていたような感覚。

 本当は、怖くて怖くて仕方がなかった。このまま二度と目覚めないのではないか。そんな気持ちを消そうとして消せなくて。
 眼前にある現実は、目覚めることのないまま、苦しげに息をする兄弟子の姿。
 目をそらすことはできなくて、けれど見つめていることもできなくて。
 ぬるくなった額の布を取り替える。もう、数えることもできないほど繰り返した作業。どれほどの時が経っても、容態に変化はなく。いや、もしかしたら悪化すらしているかも知れなくて。
 時折ギブソンが様子を見にやってきて、癒しの召喚術を使った。だがそんなものが気休めにすぎないことは、マグナにもわかっていた。召喚術は、万能ではないのだから。
 ギブソンは部屋に訪れるたびにマグナに休むよう勧めたが、マグナは決して首を縦に振らなかった。
 傍を離れるのは、とても恐ろしかったから。離れたら、その瞬間にいなくなってしまうのではないかと、そんなことすら考えて。
「なぁネス……起きて、くれよ……」
 つぶやく声も届かない。
 だけど、だから。いつかこの声を聞いてくれる時のために、ずっと祈りを口にし続けた。
 そしてただひたすらにもう一度大切な者の声を聞くことを願いながら、いつしかマグナは眠りについていた。

「こら、マグナ。いつまで寝てるんだ」
 あきれたようなしかり声が聞こえる。もう少しだけ、眠りについていたいのに、声の主はそれを許してくれなくて。
 仕方がなく彼は目を覚ます。
「……ネスぅ。もうちょっとだけ寝かせてくれよ」
 少しだけ甘えてみて。
 だけどきっと彼の兄弟子は、それを許してなんかくれなくて。いつも通りの小言が始まって。それから逃げるために護衛獣に泣きついたりして。
 そんな彼を見て、ますます小言はうるさくなって。
 それでも最後には彼の方から謝って。
「……まったく。次はないからな」
 兄弟子はなんだかんだ言いながらも許してくれて。

 そんな、幸せな夢を見ていた。




中編です。うっかりタイトルつけるの忘れてました。
つか、タイトルつけるのは苦手で、書き上がらないとつけられなかったり。
タイトルはまだ決まってなかったり。
つまり、まだ書き上がってなかったり。
2話で終えるつもりで前後編にしようと決め、後編が分裂し前中後になり。
もう1話増えたら一体どうしようかドキドキです。


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