the smile that don't arrive



「俺はお前を信用してないからな」
 ルークがどれだけ醜態をさらしても、それでもルークを心配する変わらぬ優しさを示した後で、俺に向けられたのはそんな冷たい言葉だった。
 改めて突きつけられた現実。予想していたとはいえ、それでもその言葉は俺に衝撃を与えていた。もはや俺はルークではなく、ガイは俺の友人でも、ましてや使用人ですらないなどということは、とうの昔に知っていたはずなのに。
 だが、こうして実際にそれを目にしてしまえば、平気ではいられなかった。
 ガイが、昔みたいに笑わないことが。向けられたその冷たい視線が。
 思い知らせてくる。あの陽だまりは2度と戻っては来ないのだと。
 時々、沈んだ顔や暗い顔を見せることがあっても、俺の前では笑顔を見せようとするヤツだった。俺はガイに無理をして欲しくなくて、けれど笑っていて欲しくて。そして結局何もしてやることができなかった。
 だからだろうか。ヴァンに連れ去られ、“ルーク”を奪われても、その笑顔だけはずっと胸に残っていた。
 だが今は、その笑顔すら俺には見せようとしない。
 それは再び居場所を奪われたような、苦々しさと、悔しさと、それから――胸をえぐられるような痛み。
 だけど、不思議だった。心臓はズキズキ血を流しているのに、そのどこかで小さな温もりも感じているのだ。
 大切だった幼なじみからは笑顔が消え、改めて居場所を奪われたということを突きつけられた。
 その痛みは本物だ。あのレプリカには昔のままの優しさを見せて、きっとレプリカが目覚めれば変わらない……いや、きっともっと純粋な笑顔を見せるのだろう。そのことを考えれば、余計に傷は深くもなる。
 だけど。
 俺は少し喜んでもいた。
 それでも。そんなガイでも。一緒に来てくれるということを。

 どこに喜ぶ理由がある。俺を信用してないと明言し、愛想の良さだってかけらもなくなった。この男がついてきたって、なんの利点もありはしない。なのに、なぜだ?
 また一緒に過ごせることが、少しだけどそれでも、嬉しいなんて。
 共に屋敷を抜け出し、笑いあった日が戻ってくるわけでもない。そんなものはとうに捨てられた。惨めたらしく過去にすがるのはごめんだ。“ルーク”は俺じゃない。割り切っていた。割り切れていた。
 あんな屑が捨てたはずの場所にいることは反吐が出るが、それだけだ。今更戻る気もない。
 それなのに湧きあがってくる感情がある。その気持ちの意味が、自分でも理解できない。
 だから、たいした意味はないのだと。タルタロスを動かすにも、戦力の面でも、人数は多い方が良い。おそらくそれだけの理由なのだと。
 そう言い聞かせて、俺は自分の気持ちに、目をつぶった。

「どうしましたの、ガイ。外殻に戻ってから様子がおかしいですわ」
「そうかい? 俺は何ともない。普段通りだよ、ナタリア」
 そうして笑う、あの笑顔に俺は見覚えがあった。昔と変わらない、どこかに無理のある顔。
「そうでしょうか。なんだか暗い顔していることが多い気がしますわ。……やはり、ルークのことですの?」
「そうだな。あいつは俺が育てたようなもんだし、心配じゃないと言ったら嘘になるよ。でも、あいつだって馬鹿じゃない。落ち着いて一人で考えたら、きちんとどうするべきかわかるはずさ」
 だけどあいつのことを語るときだけ、どことなく優しい顔つきになる。それは結局俺には、向けられたことがないものだ。俺は結局、あいつを心から笑わせられたことはあったのだろうか。
 思って、馬鹿な問いだと自嘲する。敵の息子に本気で笑いかける人間がどこにいるというんだ。そしてどちらにしろ、笑わせられていようがいまいが今更関係のない話でもある。
「……そうだと、いいのですけれど」
 ナタリアの沈んだ顔。ナタリアは今も突然知らされた事実に、対応できないでいる。当たり前の話だ。ルークがあそこまで屑じゃなかったら、知らせたくはなかった。誰にも。……ガイにも。
「大丈夫。馬鹿で、調子に乗りやすいけど、人一倍素直なヤツだからな。逆にその責任に飲まれてしまわないかが心配だよ。ティアがいてくれるから、問題はないだろうが」
「……ガイは、本当に信じてますのね。ルークのことを」
「当たり前さ。誰が信じなくとも、俺だけは信じてやらないと。それが、あいつをあんな風に育てた、俺の義務でもあると思うしな」
 信じている。そしてあのレプリカが信頼に応えることを強く願っている。
 ルークを思い小さく笑うガイの金色の髪が、陽の光に輝いて見えた。まぶしい、太陽のような色。幼い頃ガイに初めて会ったとき、その綺麗な色に感動したことを思い出す。……否。忘れたことなど、なかった。
 その時、かすかに草むらがざわめく音がした。
「気をつけてください! ……来ますよ」
 先頭を歩いていたジェイドとかいうメガネが警告する。言われるまでもない。魔物の気配だ。
「雑魚がっ」
 つぶやいて駆け出す。現れたのはこの辺を良くうろついている狼に似た生き物だ。たいした敵じゃない。もちろん、だからといって油断する気はさらさらないが。
 飛びかかってくる牙を交わして、剣で横に薙ぐ。かすった一匹があわてて飛び退く。
 だが、安易に後退なんかさせない。下がろうとしたヤツに連続で切り込んだ。
 だがもう一匹がその隙に躍りかかってくる。
「アッシュっ、一人で突っ走るな!」
 ガイが素早く回り込んで、右側にいたそいつを剣で払いのける。と同時に周囲を一閃して威嚇。魔物に距離を置かせる。
「ネガティブゲイト!」
 後衛が唱えていた呪文がようやく間に合ったのか、敵の中心で炸裂する。魔物が打撃にひるんでいる隙に、俺とガイは魔物にとどめを刺した。
「ったく。一人で戦ってるんじゃないんだから、突っ走りすぎるな。迷惑だよ」
 冷たい忠告。
「ふん。あれくらいなら、何とかなると思っただけだ」
 最初から手助けなんて期待していなかった。食らってもかすり傷だと思って、ある程度は覚悟して踏み込んだ。ガイが……俺をかばうなんて、思っちゃいなかった。
 だけどあいつは俺をかばって。敵の息子である俺が、憎いはずなのに、かばって。
 迷惑というくらいなら、助けなければいいんだ。そんな簡単な選択肢が、当たり前に存在しているのに。それを選んでも誰に責められるというわけでもないのに。ガイは、選ばない。
 本当に、どこまでもどこまでもお人好しな男だ。どれだけ冷たくしても、憎くても、ガイは俺を見捨てるということをしないのだから。
 いっそ、見捨ててくれれば楽になるのに……
 なぜかはわからない。そんなことを、思った。


「大丈夫か、お前」
 草地で野営の準備をしていると、ガイが突然そんなことを訊いてきた。
「なんの話だ」
 さっぱりわからずに訊ね返す。
「怪我だよ。昼間の戦闘で腕かすってただろ。ナタリアに見て貰えば良かったのに、我慢しやがって」
 ……怪我。あの後もう一度魔物に襲われた際、敵の爪が腕をかすめていた。
「ふん。ナタリアの手を煩わせるまでもない」
 数が多く乱戦だった。怪我をしたといってもかすり傷。誰も気がついてすらいないと思っていた。なのに。
「だからって手当ぐらいしろよ」
 ガイは表情のない顔で、ただ俺の腕をにらんでいた。ただそれだけなのになぜか、胸が締め付けられる思いがした。
「してあるだろうが」
 流れてくる血がじゃまだったので、適当な布を巻いておいた。この程度の怪我の応急処置としては十分だ。
「こんなものは手当とは言わないな。ほら、貸せ」
 そのまま強引に俺の手をつかむ。瞬間、心臓が跳ね上がる。
「なっ……」
「やっぱりな。消毒すらしてないじゃないか」
 そう言ってガイは、てきぱきと手当を進めていく。
 つかまれた腕が、触れられた場所が、熱を持って伝えてくる。言葉にならない感情。そんな風に感じる理由なんて知らない。けれど、そんなことはどうでもいい。ただ今は、腕から感じる熱を逃したくないと強く願った。
 腕から伝わってくる感情は、いつか見た少年の笑顔にも似ているようで――暖かいのにどこか苦しくて、苦いのになぜか柔らかい。優しい、あの太陽ような髪の少年の笑顔。
「よし、終わったな」
 ガイは一通り手当を終えると、俺の腕を放し立ち上がる。
 触れていた手が離れた瞬間、思わず追いかけそうになった。ずっと触れていたくて、手を伸ばしそうになる。
 けれど、彼はすでに背を向けていた。その背中は、未だ腕に残る熱を否定しているかのようで。どうしようもなく、失ってしまった現実を思い出させる。
 ああ、俺は――どれだけ否定しても目を背けても、拒絶されても失っても。
 その暖かな光を持つ金色の髪に、優しい笑顔に、触れた指のぬくもりに、むけられた背中にすら――焦がれている。
「ガイ」
 意識しないうちに、名を呼んでいた。遠ざかっていた背中が、立ち止まり振り返る。
「…………助かった」
 伝えるべき言葉を探して、ようやく感謝を口にする。真実伝えたかったのは、たぶん別の言葉だった。けれどその言葉は、おそらく一生口にすることはないだろう。
「俺が勝手にやったことだよ。感謝されるようなことじゃない」
 あの時少年だった彼は、もう青年となっていて。戻らない時間と同じように、変えられない関係というものは存在するのだろう。
 俺が思っていた主人の息子と使用人という関係が幻にすぎず、家族を殺された男とその敵の息子が現実だというのなら。
 ようやく見つけた、自分の中に渦を巻く感情の名は酷く残酷だ。
「……感謝すら受け入れられないなら、最初から放っておけばいいだろう」
 視線を合わせることすら拒みながら、手だけはさしのべる。この優しさは罪だ。いや、俺に対しての罰か。復讐なのか、これが。
「そうかも、しれないな」
 口から漏れたつぶやきが、聞こえていたとは思わなかった。だがガイは、俺の言葉に反応した。口元に苦い笑みを形作る。
「俺が悪かった。それから……どういたしまして」
 それは小さな笑いで、微笑というよりは苦笑だった。
 それでも。ああ、それでも。その笑顔を向けられたから――
 
 望んでいた、たった一つの幸福を知った。






アッシュ→ガイは英タイトルにしようと思った、意味もなく。
やはりいまいち、アッシュ一人称わかりにくいです。
アッシュは寂しいとか辛いとかそういうこと内心でも言わない子だと思うんです。
だからすごく書きにくいです。また次のネタもできたのですが……3人称にしようかな。
あと、ガイはアッシュのこと嫌いじゃないです。
ただ内心色々葛藤あって、どうして良いかわからないだけ。


お話し目次へ topへ