お料理バンバン



 その日、ギブソン・ミモザ邸の台所にはカオスが広がっていた。
「ああ、トリス! そこは違います」
「え? ええ? これ、入れるんじゃないの?」
 ぼちゃ。
 手の中のものを、うっかり鍋に落とすトリス。
「あ! 入っちゃった……」
「……ま、まだ何とかなりますよ。ここからが勝負です」
 そう言ってトリスを励ますアメルの声も、どことなくぎこちない。
「むー。どうしてこんなに難しいのかしら……」
 あたし、料理の才能ないのかもと落ち込むトリス。
 アメルは心の中で深く同意したが、
「大丈夫。料理は愛情ですよ。トリスが愛情を込めればきっとおいしいって言ってもらえます」
 なんとか、フォローを入れる。
「……ホントに?」
「た、たぶん」
 つい口を滑らせてしまうアメル。トリスのじとっとした視線が突き刺さった。


 その時、台所の外には鍛錬から帰ってきたレルムの村の双子が居た。
 夕食にはまだ早いが、何かつまむものがないかと覗きに来たのだ。
「なんだ、こりゃ」
「トリスさんが料理をしているみたいだね……」
 台所はすさまじい惨状とかしていた。あちこち散らかっているのはともかく、そこにある料理が尋常でない。
 黒ずみとかした野菜炒め、不可思議な色をしたスープ、どう見ても生のままの煮物など。 一品一品の量が少ないのは幸いだが、はっきり言って、とても食べられそうなものではなかった。
 その中で、トリスとアメルが言い合っている。
「……今日はもうやめようか。これ以上やっても、材料の無駄になっちゃうし」
「でも、トリス。好きな人に手料理、食べて貰いたいんじゃないんですか」
「うん。だからとりあえず一番まともなのを……」
 そんな二人の会話を聞いていた双子。
「トリスさん、好きな人がいたんだ……」
 なんとなく、恋とか愛とか、そう言うものには無縁だと思っていた双子兄。
「…………」
 できあがりのひどさはともかく、エプロンをし一生懸命に料理をする姿に、秘かに見とれていたので、会話の中身がいまいち理解しきれていない双子弟。
「でも、そうだな。いてもおかしくはないかな。しかし、トリスさんの好きな人かぁ。お前は誰だと思う、リューグ?」
「…………………」
「リューグ?」
「……………………………あ?」
「聞いてなかったのか。トリスさんの好きな人だよ。今いるって言っていたじゃないか。トリスさん、その人のために、料理の練習をしてるって」
「は? ……トリスの、好きな、人?」
 表面上、何とか平静を保ってリューグは答えた。トリスに、好きなやつがいる……?
 いつからか、辛さを隠し、それでも無邪気に笑うトリスから目が離せなくなっていた。アメルが好きだと思っていたのに。気が付けばアメルではなく、トリスを目で追っている自分がいる。ようやく最近、トリスへの想いを自覚したところだというのに、そのトリスに好きな人がいるという。
 正直、ショックの大きい話だった。
「それで、お前はどう思うんだ?」
 トリスの好きな人間は誰かということについて。
 だけど恋する彼には、ライバル出現という事実について訊かれたように聞こえた。そう、恋心を言い当てられたように。
「別に、俺はっ………………知るかよ」
「あ、おいリューグ!」
 リューグが立ち去ろうとした瞬間。
「リュリュリュ、リューグ! ロッカ! ど、どうしたの、こんなとこで!」
 煮物(らしきもの)を抱えたトリスが台所から出てきた。
 すかさずロッカは、さわやかにほほえみながら答えた。
「あ、トリスさん。少しおなかが空いたから、何かもらえないかと思ってきてみたんだけど」
 もちろん会話を盗み聞きしていたことなど、少しも臆面にださない。
「えええ? い、いますぐ!?」
 あせるトリス。それもそのはず、現在台所はものすごい状況である。どれが食べられるもので、食べられないものなのか。判別すら難しいだろう。
 そして、自分がそんな状況にしてしまったということを、好きな人には知られたくないわけで。今も必死で自分の体を使って、台所の惨状を隠そうとしている最中なのである。
 アメルはトリスの好きな人が誰かという具体的なことは知らなかった。しかし、トリスが必死で台所を隠そうとしていることは気づいたので、大丈夫ですよとささやいて、
「確か棚に、おいもさんのクッキーがあったはずです。お茶と一緒に持っていくので居間の方で待っていてくださいね」
 と、笑顔の圧力で二人を追い払った。


 なし崩しに居間まで追い払われた二人は、することもなくソファーに座ってお茶を待っていた。
 とはいえ、リューグの頭の中ではトリスの好きな人という言葉がぐるぐる回ってたりしたわけだが。
 そんなリューグの視界の端をトリスはかけていく。胸にしっかりと煮物(かもしれない)を抱えて。その先には……
「ネス!」
 彼女の兄弟子がいた。
 少しはにかみながら、煮物(なのか?)を示すトリス。ネスティはしかめっ面をしてくどくどと小言を言ったようだが、トリスの必死な願いにしぶしぶといった形で手を伸ばす。
 会話は聞こえなかったが、トリスが手料理を食べて貰いたかった人というのは、リューグからすれば明らかだった。
 なんだかんだ言いながらも、常にトリスを気遣っているネスティと、反抗するふりを見せながらも、ネスティに全幅の信頼を置いているトリス。
 幼い頃からずっと一緒に育ってきたという二人に、壁を感じたことがなかった訳じゃない。だけどトリスの無邪気な姿に、どこか安心して、甘えていた。
 最初から、割り込む余地など無かったというのに。
 リューグは二人の姿を見ているのに耐えきれず、その場を後にした。


「君はバカか!? こんなものを人に食べさせようとしたのか? 一体どうしたらこんな風になるんだ。とてもじゃないが食べられたものじゃないぞ!!」
「むー。そんな風に言わなくてもいいじゃない」
「言いたくなるような出来なんだ!」
 ネスティの一括にしょぼくれるトリス。
「やっぱり、無理なのかなぁ」
 突然やってきて、料理を作ったから味見をしてくれと言われ、差し出された煮物(もどき)。食べる前からわかってはいたが、食べてみるとやはりひどい味だった。
 思わず叱ったが、トリスなりの一生懸命の結果であることはうかがえる。……うかがえたからといって、我慢できる味ではないが。
 ネスティは溜息を一つついて、幾分口調を和らげて言った。
「最初から難しい物を作ろうとするからそうなるんだ。まずはサンドイッチとか、簡単なものから作ったらどうだ。いくら君でもパンにはさむことぐらいできるだろう」
「うー。簡単すぎない?」
「食べられないよりはマシだろう?」
「うっ……そうね。うん、そうするわ。ありがと、ネス!」



 そして、一週間ほどたった昼下がり。
 トリスは稽古に行くリューグに声をかけた。
「ねぇ、リューグ。今から稽古に行くんでしょ。つきあってもいい?」
 普段はリューグが誘うのに、今日は珍しくトリスからの誘いだった。
 とはいえ、トリスはアメルと秘密特訓をしていたせいで、ここ一週間ほどは稽古とはご無沙汰だったのだが。それどころか、ほとんど話らしい話もしていない。だからトリスは、その間にリューグに起きていた異変に、気が付いてはいなかった。
「…………」
 リューグは答えない。いつもにましての仏頂面で、振り向きもしない。
 まるで、聞こえてすらいないのかのように。
「リューグってば!」
 再び無視。
「むー……」
 トリスはぷうと頬をふくらました後で、何かを思いついたように、にやりと笑った。静かに、リューグの背後に近づく。そして急に正面まで回り込むと、リューグの頬をむにっと引っ張った。
「リューグー。聞いて……」
 軽いお茶目のつもりだった。だけど振り払われた力は思いの外、強くて。トリスは2,3歩よろけしりもちをついた。
 リューグはそんなトリスを一瞥した後、再び視線を中空に戻す。
「わるい」
 どこか、苦悩しているかのような表情で。
「だけど、今はてめえの顔を見ていたくねぇんだよ……」
 はっきりと示された拒絶。振り向いてくれない横顔。トリスはそれを呆然とした思いで見上げた。
 トリスがリューグのそんな顔を見るのは、初めてじゃない。けれど、それはトリスに対して向けられたものではなかった。
 理由は思い浮かばなかった。だけど、知らないうちに大切な人間を傷つけていたというのは初めてじゃない。クレスメントの一族はたくさんのものを傷つけてきたのだから。
 トリスは静かに立ち上がると、ぎこちない笑顔で
「ご、めんね。気が、つかなくて」
 走って逃げ出した。泣かないように、歯を食いしばって。
 涙は流したくない。傷ついているのは自分じゃなくて、リューグなのだから。
 だけど、トリスの心は張り裂けそうに痛んでいた。
 リューグが振り返った時、トリスの姿はすでに遠くなっていた。見慣れぬ鞄を持って走り去る小さな背中が、まぶたに焼き付いた。


「くそっ」
 八つ当たり。それはリューグにもわかっていた。その八つ当たりでトリスを傷つけたことも。
「どうすりゃよかったんだよ……」
 傷つけたい訳じゃなくて。だけどトリスの無邪気な顔を見て、平静でいられる程、気持ちの整理もついていない。
 ネスティへの気持ちを知っても、トリスを護りたいという気持ちにかわりはない。だけど、今はまだ、側には居られない。
 リューグが一人、自己嫌悪に陥っていると、くいくいっと袖を引っ張られた。
「……ハサハか。どうしたんだよ」
 いつの間にやら、トリスの護衛獣が側にやってきてこちらを見上げている。
「……おいしかった?」
 首をこくんとかしげて、訊いてくる。
 正直、苛立った気持ちの時に、意味不明の質問をされて。まともな対応などできる心境ではなかったが、ハサハにまで当たるわけにはいかず、仕方なく答える。
「なにがだ?」
「サンドイッチだよ。おねえちゃんが……つくったの」
「……トリスが、作った?」
 こくこく頷くハサハ。
「なんでそれを俺に訊くんだよ」
 意味が、わからない。
 しかしハサハは不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。
「だって、おねえちゃん、いってたよ。ハサハも手伝うっていったのに、これはおにいちゃんにあげるのだからダメだって。おにいちゃんのは……とくべつ、なんだって」
「特、別……?」
「ハサハの分は……いっしょにつくったの。でも、おにいちゃんの分は、おねえちゃん……ひとりでつくりたいって。おにいちゃんのこと……だいすきだからって」
「……!」
 思い出される見おぼえのない鞄。大切そうに持っていた。

――トリスさんの好きな人だよ

 特に稽古が好きなわけでもないトリスが、今日に限って声をかけてきて。

――トリスさん、その人のために、料理の練習をしてるって

 トリスはネスティのことを想っているはずなのに。

――おにいちゃんのこと……だいすきだからって

「くそ!」
 リューグは走り出した。トリスの、後を追って。
「おにい、ちゃん?」
 後にはハサハが一人、残された。


「リューグの、ばか」
 口に出してつぶやいてみる。そうしないと胸の痛みに押しつぶされそうだから。
 トリスは導きの庭園の人気のない木陰で、鞄を抱えて座り込んでいた。
「ばかばかばかばかばか」
 せっかく、作ったのに。
 だけど、食べてもらえなかったことより何より。

――今はてめえの顔を見ていたくねぇんだよ

 その拒絶が胸に痛い。
「あたし、うかれすぎてたんだ」
 今はそんな時じゃないのに。
 鬼や死人の軍団が、いつ攻めてくるのかもわからない時なのに。
 だけどゲイルのことでのわだかまりが、ようやく無くなったような気がして。
 すこしだけ、以前よりも側に居られるように、なった気がしていて。
 だから、うかれていたんだ。
 アメルみたいに女の子らしいことがしてみたくて、料理をしてみた。トリスの中にあるアメルへの嫉妬とあこがれ。たぶん、そんなところから始まったのだ。
 一週間もかけて、ようやくまともに作れるようになっても、リューグにはそれを食べてすらもらえないのだった。
 食べてもらえないどころか……
「これ、どうしようかな」
 トリスは無理やり思考を切り替えて、抱えた鞄に目を落とした。中にはアメルに指導を受け、ネスティとハサハに太鼓判を押して貰ったサンドイッチが入っている。
 頑張ってくださいね! なんて、意気込んで送り出された手前、そのまま持って帰るのは気まずい。
「……自分で、食べちゃおうかな」
 せっかく作ったのに、捨てるのはイヤだし。かといって、リューグ以外の誰かにあげる気もしない。
 鞄を開けようとして、涙がこぼれた。
 好きになってもらえなくても、側にいたかった。だけど、それすれも。
 知らない間に傷つけていて、それにも気づかずに。

「トリス?」
 トリスが落ち込んでいると突然、声がかけられた。反射的に顔を上げると、そこには赤い髪、茶色い瞳の少年がいた。
「リュ……っ」
 トリスは鞄をつかみ、慌てて立ち上がろうとする。リューグの側には、いられないからだ。
「待てよ! ……そのまま、座ってろ」
 近づいてきて、片手でトリスを座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。
 いつも夜更けに、月を見上げながら話をしていた時みたいに。
「さっきは……わるかったな。ただの、八つ当たりなんだ」
 あいかわらずトリスを見ることはしない。だが、触れている腕から温もりが伝わってくる。
 トリスにはそのことが、ひどく嬉しかった。
「俺に、用だったんだろ?」
「えっあっ……うん。稽古に、誘おうと思ったの」
 伏し目がちに答えるトリス。視線はサンドイッチの入った鞄のあたりをさまよっている。
「それだけ、か?」
 リューグはハサハが言っていたことを、直接たずねることができずにいた。
 トリスは、自分の本当の目的を知られている様な気がして、落ち着かないでいた。
 ……実際、リューグはトリスの目的に気づいているわけだが。
「あ……」
「…………」
 言いたくて、言い出すことができないトリス。
 聞きたくて、聞き出すことができないリューグ。
 二人が膠着状態に陥りかけたその時、ぐうぅ〜というマヌケな音が聞こえた。リューグのおなかから。
「おなか、すいたの?」
「……昼飯、あんまり食ってねぇからな」
 言い訳のようにつぶやいて、気まずそうにそっぽを向く。
 その仕草がなんだかかわいくて、トリスは思わず吹き出した。
「なんだよ?」
 不機嫌そうな顔でトリスをにらむ。
「あはは。ごめんごめん。これあげるからさ、許してくれる?」
 そう言ってトリスは持っていた鞄を差し出した。
 リューグは緊張しつつも、平静を装って訊く。
「それ、なんだよ」
 トリスは鞄の中からバスケットを取り出しながら答えた。
「サンドイッチよ。あたしが作ったんだから」
「俺が食っていいのか?」
 緊張の一瞬。
「もちろんよ。そのために作ったんだから」
「そのため……?」
「だってリューグ、稽古の後はいつもおなか空かせてるじゃない。だから……」
「わざわざ俺のためにってことか?」
 ちょっとつっこんでみる。
「えっ……あ、ううー……」
 とたんにトリスは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
 かと思いきや、突然顔を上げ、
「だ、だってアメルだって忙しいし! あたしが作ってあげられたら、それだけアメルも楽になるじゃない」
 早口で、一生懸命に訴える。
「そうだな」
「むー。なんで笑ってるのよぅ」
 赤い顔のままほほをふくらませるトリス。リューグはそんなトリスの抗議を軽く流してサンドイッチに手を伸ばした。
「じゃあ、ありがたくいただくとするか」
 食べ終わるのを待ってトリスが訊く。
「お、おいしい?」
「ああ、うまいぜ」
「ホント? 良かったぁ……」
 安堵して胸をなで下ろすと同時に、笑顔を浮かべる。心から嬉しそうな笑顔。

「だけどこれは、テメエが作ったからうまいのかもな」

 リューグはつぶやく。たとえ卵の殻が混じっていても、おいしいと思えるから。
「え? 今なんて言ったの?」
「何でもねえよ」
 リューグは2つ目のサンドイッチを手に取る。
 穏やかな午後の光。木漏れ日の下。
 幸せそうな二人が、そこには座っていた。


バンバン……いや、バンバン?
いつもタイトルは悩みますが、今回は悩みまくり、悩みすぎ。
とうとう書いてる間につけてた仮題のままですよ。
んでも、つけてた時間が長いから一番しっくりくるんですよね。

しかし、話を重くしないように気をつけてたんですけど。やりにくい。
結局、何カ所か重くなってるし。
向いてないのですね。でも、特訓あるのみ!


な、なんとこのお話に音井千沙氏がイラストをつけてくれました!
ラストの絵です。もー2人はラブラブですね!
見ててこっちが照れちゃいます。そんな美麗イラストはこちらから!!


お話し目次へ topへ