秘想



「じゃあ、今夜はここで眠ろうか、バルレル?」
 禁忌の森で悪魔と遭遇して、ルウの家まで逃げてきた夜。
 ルウの家から少し離れた、しかし森には近づきすぎないところにマットを敷きながらトリスが言った。
 ルウの家には全員が泊まれないので、あぶれたメンバーは自然、野宿となる。
 とはいえすぐ側に屋根があり、毛布などの防寒具には不自由しないので、それほど大変なことではない。
 アグラじいさんの言葉が嘘だったと知ってしまったアメルは、ひどくふさぎ込んでいる。今は多分、家の中でケイナや、ミニス、そして多分リューグが、心配して側についているだろう。
 一人で考える時間を与えて。だけど、誰かに頼りたくなったときすぐ側に居れるように。
 トリスは、その輪の中には入らなかった。アメルの側に、いてあげたいとは思う。だけど最近、アメルとリューグが一緒にいるのを見ていると、その場から逃げ出したくなるのだ。なぜかはわからないけど、胸が痛くなる。
 家族のような2人の絆が、うらやましいのかもしれない。家族がどんな物か自分にはよくわからないから。
 それでも、いつもだったらアメルの側にいた。だけど今日は無理だった。
 森の中で悪魔が言った言葉。それが耳に残って離れない。
――調律者
 聞いたこともないのに、ひどく不安になる言葉だった。とても、怖い。
 こんな気分で、あの2人の姿を見ることはできそうになかった。それで家の中に当てられたスペースを、ネスの方が疲れていると言う理由でネスに譲って、バルレルと2人外に出てきたのだ。
 実際、ネスはひどく消耗しているようだった。その理由が聞けないことも、トリスの不安をあおっていた。

「俺は別にどこでもいいけどよ……」
 まわりから、少し離れた場所。なぜこの場所を選んだのか、ニンゲンの負の感情を糧にする悪魔であるバルレルには何となく理解できた。
 いつもと変わらぬ顔で笑い、いつもと変わらぬ受け答えだが、このニンゲンは今、大きな不安を抱え、おびえ、悩んでいる。
 そのことはわかる、だが、その理由がわからない。
 家の中にいる、あの、アメルとか言うオンナが落ち込む理由はわかる。だが、このニンゲンが落ち込む理由はどうしてもわからなかった。
 そして、このニンゲンは普段と変わらずに笑うから、このニンゲンが落ち込んでいることに気づいているヤツもいない。
 そのことが、なぜかひどくバルレルをいらだたせていた。
「ったく。なんでこの俺が……」
 こんなニンゲンの心配をしなくちゃならないんだか。
「え? バルレル。なんか言ったー?」
「何でもねえよ。オラ、とっとと寝るぞ」
「あー、うん。そうだね」
 そういってトリスはぽふっと、マットに倒れる。
「……………………」
「……………………」
 このニンゲンにしては珍しく、布団に潜っても眠れないらしい。
(それだけ、まいってるってことか。……クソッ、いったいなんなんだ?)
 何を不安に思っているか、聞きたい。だけど、聞けない。変わりなく笑うトリスに、何を聞けと?
 それに、悪魔がそんなことをするのだって、ばかげている。
(ケッ、考えたって仕方ねえ。……寝るか)
 そう結論づけると、ごろりと横になり、寝る体制を決め込んだ。
 それからしばらくして、トリスはもぞもぞと起き出すと、ふらりと歩いていった。
「……………………………」
 それを薄目で追う。それは、普段とは違って、ひどく儚げだった。とっさに、声をかけたい気持ちを抑えた。
(なんで。この俺が……あんなニンゲンのことが気になりやがるんだ)


 アメルはぎこちない笑顔で与えられた部屋から出てくると、こう言った。
「みんな、わたしは大丈夫ですから。だから、そんなに心配しないでください。もう、遅いですから、休んでください、ね」
「……わかった。そうさせてもらうわね」
 それにケイナが答えた。
 アメルはそれに頷くと部屋に戻っていった。
 どう見ても大丈夫には見えなかったが、しかし、こうして心配していることですら、アメルの負担になっているらしい。
 誰が言ったわけではなかった。だが、何となくみんな眠ることができなかった。アメルが自分に与えられた部屋で、声を押し殺して泣いているのがわかったから。
 だからアメルの部屋の方を見ながら、何となくみんな起きていた。しかし、その気配が伝わってしまったのだろう。
 実際、ミニスあたりはもう寝かかっていたし、これ以上起きてここにいても仕方のないことではあった。
「ほら、ミニス。ちゃんと自分の布団で寝なさい」
「……わかってるわよぅ……」
 だいぶ眠いらしく、どこか間延びした声でミニスが答えた。
 それをざっと一瞥して、リューグは立ち上がった。
「俺も、もう寝る」
「ああ、そうおし。あたいたちもそうするよ。……なんだか逆にあのこの負担になっちまったみたいだね」
「はっ、仕方ねえさ。あいつは、そういうやつだからな」
 それがわかっていても、心配することを止められなかった。
「なんでも、1人で背負い込もうとするやつだからな……」
 頼って欲しいのに。
(バカ兄貴なら、こういう時、うまい言葉でもかけてやれるんだろうが……)
 何もできない自分にいらだちながら、リューグは外へ出た。
 外の連中はもう半分くらい寝ているようだった。
 あまり、アメルに無理はさせたくないが、襲われれば明日だって戦うことになるかもしれない。正しい判断だった。
(何もできないなら寝るしかねえってか。はッ、結局意味のないことをしちまったってわけだ……)
 意味のないどころかアメルに負担をかけて。
(ちくしょう、なんで居ねぇんだバカ兄貴……)
 居ない兄に八つ当たりをして、リューグは自分の寝床に戻ろうとした。
 その時1人の人影が視界に映った。
 家から少し離れた木の陰から、月を見上げる少女。
(あいつ……なにやってんだ、こんなとこで)
 何となく、あいつならアメルのことを何とかできたかもしれないと思うと、いらだってきた。
「てめえ、なにやってんだ」
 突然声をかけられたことにびっくりしたように、勢いよくトリスが振り返った。
「……リューグ」
 だが、振り向かれた方が驚いた。トリスは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 とっさに、今まで抱いてたいらだちが消えた。トリスのそんな表情を見るのは初めてだったから。
 しかし直後、トリスはいつもの顔に戻って言った。
「アメルは? どうしてるの?」
「……そんなに気になるなら、てめえが自分で行けば良かっただろうが」
「う……。なんとなく、側にいられなかったの。見てられないっていうか……」
「あいつはもう大丈夫だとよ、本人いわくな。側にいるこっちに気いつかっちまってるみたいだ。まったく、あいつらしいって言うか……」
「そうだね……」
 うつむきかげんに頷く。
「しかし、 これで、完全にジジイのウソが確定しちまったな」
 何となく、次の言葉を見つけられなくて言う。その言葉を信じたがっていたトリスに、これを言うのは酷だろうとは思ったが。
 口から滑り出てしまった言葉は止められない。案の定トリスは黙ってうつむいている。
「で、どうするよ?これから」
 しかし、事実を知ってしまったところで動かなければ始まらない。
 トリスはしばらく黙った後、顔を上げて言った。
「とりあえず、デグレアの動きを調べてみるつもり。そのうえで、あいつらの手が出せない場所にアメルを連れていくわ」
 その顔にははっきりした決意が表れていた。
 だが、言っていることはあいかわらず、甘い戯れ言だ。だけど……
「そんな場所があるとは、思えねえがな…… 最悪、作ってやるさ、この俺の手で……!」
 そう、なんとしてもアメルは俺が守る。


 この胸を襲う恐怖も、この心を焼きつくしそうになる嫉妬も、絶対誰にも言わない。
 ただでさえ弱いあたしが、それでもアメルを守るって決めた。だから、だいじょうぶ。こんなことには、負けないよ。


 トリスは、しばらくして布団に戻ってきた。
 彼女のまとう負のオーラが心なし増えているのがバルレルにはわかった。
 今度はあっさりと眠りについたトリスの寝顔を見ながら思う。
(どうしてこのニンゲンは……)
 糧であるはずの負の感情さえ拒否したいほどに。
(バカみたいに笑ってる方が似合いだってんだ)
 無邪気に笑う笑顔を守りたいなんて思ってしまう。
(ったく。ホント、調子狂うぜ……)
 ――悪魔のつぶやきは誰も知らない。

サモ小説第2弾。
個人的に、リューグとトリスの話が書きたくて。
2人の甘甘な話が書きたくて、書いたんですけど……
この話のメインはどう見てもバルレル……
なぜなんでしょう。何が起きたんでしょう。
まぁ、最初から甘くはならないだろうとは思ってましたけど、ね。


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