星の生まれる日



   幼子に寝物語をするように、少年は告げた。

「ヒトは死ぬと、星になるんです」

 少年の背後には、天井まである高い窓。その向こうには、果て無き星の海。
 瞬間、「彼」は息を飲む。

「ヒトは死ぬと、魂が身体から離れて宙(そら)に昇り、輝きだして星になる。そうして永遠に地上にいるボクたちを見守っていてくれるんです」

 淡い星明りに、小柄な少年の姿がぼんやりと浮かぶ。
 透けるように白い肌。長い睫毛に縁取られた翡翠の瞳。筋の通った鼻梁。ほんのりと赤い小さな唇。濡れ羽色の髪。仕立ての良い古風な洋装から伸びる華奢な作りの手足が、年代を感じさせる椅子に納まっている。
 どれ一つ取っても、非の打ち所のない美貌。夢のような少年。
 形の良い唇から、高く澄んだ声が紡ぎだされる。

「昔、ボクを置いて逝ったヒトが、ボクが泣かないように、この話と星が良く見えるこの館を遺してくれました」

「優しい人だったんだな」

「はい」

 「彼」の言葉に、嬉しそうに少年は深く頷く。だが、そのまま顔を伏せてしまう。

「だからボクは、一人になってからずっと星を見てきました。毎晩毎晩、あのヒトの星を探しながら、本当に自分は一人ではないのだと思っていました。でも・・・」

 上げられた顔には、微かな笑み。果敢無い。

「あのヒトがいなくなってから、どれくらいの夜だったのでしょうか。何千、何万・・・自分でも分からなくなったある夜、空が光ったのです。まるで全ての星が、一つになって光ったように」

 一度言葉を切り、少年は椅子から立ち上がると、「彼」に背を向け、窓の外に広がる宙を見上げた。

「光が収まると、また元通りの星空が見えました。けれど、分かってしまったんです」

 幾千、幾万の夜を星と共に生きてきた少年には。

「大きな星が一つ、消えていたことに」

「超新星の最期の爆発・・・」

 呟くように、「彼」は5世紀も前の天体事象の名を口にした。

「とても古い星でした」

 少年も小さく返す。

「それで、気が付いたんです」

 気が付きたくはなかった。

「星は永遠ではない。星もまた死ぬ存在なのだと」

 悲しみも絶望も滲まない声。けれど、「彼」に向けられた背は、闇に掻き消されてしまいそうなほど細い。

「その時から今日まで、何と長い日々だったか。不思議なことです。ボクがそれまで生きてきた時間の方が、遥かに長かったのに・・・」

「時は全てに等しく流れる。だが何故か受け取る側の俺たちは、時を全て等しいとは感じない」

 どこか疲れたような「彼」の声。

「ボクもそう思います。・・・あの頃は、どんなに永い時を一人で過ごしても平気でした。共に生き続ける存在(ほし)があったから。けれど、それが永遠ではないと知ったとき、ボクだけが死ねないのだと分かったとき、ボクの中の時間が変わった・・・」

「絶望したのか?」

「・・・分かりません」

 力なく首を横に振る。
 「彼」は重ねて問い掛けた。

「何故、自分で終わらせようとしなかった?」

 その永い永い生を。孤独に耐え切れなかったのなら。
 すると少年は「彼」の方へ、端正な、けれど全く生気を感じさせない白い面を向けた。

「アシモフの三原則をご存知で?」

 否と「彼」が返すと、

「遥か昔、ボクたちがヒトの思考の中に誕生したばかりの頃に作られた、ボクたちがヒトと共に生きていくための三つの約束です」

 ゆっくりと、「彼」の方に向き直りながら、

「一つ、ボクたちはヒトに絶対危害を加えてはならない」

 淡々とした声音。感情のない。

「一つ、ボクたちはヒトに絶対逆らってはならない」

 一瞬だけ、間が空く。青白い顔に、苦悩の影が微かに広がる。

「一つ、・・・ボクたちは自分の命を絶ってはならない」

 約束を違えてはならないのです。それがボクたち・・・ロボットの本能なのだから。
 そう、静かに付け加えた。

「人がいなくなっても、守り続けるのか」

 呆れを含んだ声で「彼」は尋ねる。この機械仕掛けの少年は、五百年以上それを一人で守ってきたのだ。
 少年は軽く瞼を伏せ、そこだけ仄かに赤い唇に苦笑を刻んで、

「アナタたちが、そう造ったのですよ」

 それは、少年の無意識にもらされた恨み言。少年を愛し、優しい嘘をついて置き去りにした、今はいない誰かへの。
 少年はけして気付かない。自分が今にも泣きそうな顔をしていることを。否、自分がそんな顔をすることがあるのだということを。
 そのことを哀れんだのか、そうでないのか、「彼」は静かに言葉を継いだ。

「だから責任をとれと言うのか?」

 ヒトの手から生まれた存在を、ヒトの手で還せと。
 宙へ

「はい」

「何故、俺なんだ?」

「『何故』?」

「この五百年、俺以外にこの館を訪れた者はいただろう。人に尽くすお前のことだ、今の俺にしたように一夜の宿を貸すこともあっただろう。お前の回路を止めるくらい、人なら容易いはずだ」

 数瞬の沈黙。何かを耐えるような。そして漸く、少年は口を開く。それは、「彼」が望んだものではなかったが。

「・・・アナタの職業を、聞いたからです」

「俺の・・・」

 話が見えないと言いたそうに、眉間に皺を寄せる。

「アナタは、依頼があればどんなものでも、ヒトでもモノでも守ると仰いました」

「確かに俺は、『守り』が専門だ。けれど、『殺し』や『壊し』は俺の商売じゃない。頼む相手が違うだろう」

 いいえ、と少年はやわらかく否定する。
 吸い込まれそうな翡翠の瞳をまっすぐに、真摯な声音で、

「ボクの『心』を守ってください」

「・・・」

「このままでは、ボクの心は壊れてしまう。例え、身体が何時までも壊れなかったとしても・・・」

 何世紀にも渡る孤独と、死ぬことができない絶望に、電子の心が軋んでいる。

「だからボクの心を守るために、ボクを止めて下さい。これはアナタの仕事のはずです」

 少年が口を閉ざすと、夜の静寂が二人の間に降り注いだ。窓の外では、星が音もなく瞬き続ける。
 永遠とも一瞬とも思える時間。
 多くの年月を生きてきた少年にも、どれほどの時間がたったのか分からなかった。
 ふいに、深い深いため息と共に、「彼」は言葉を吐き出した。

「一夜の宿の礼と、お前のこれまでの永い生を同等にするつもりはないが、生憎俺は、それぐらいしかお前に借りがない。それでもいいのなら、借りを返させてもらおう」

 途端、少年の顔が薄暗がりの中輝き、眩しいほどの笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げるその様子に、「彼」はとても複雑な表情をした。

「本当は、どんなことがあっても生き続けろと、生きることもそんなに悪くはないと言いたいんだが、お前にはもうそんなことも、言えないのだろうな」

 星よりも永く生き続けてしまったのだから。
 そして、少年の望みはもはや現世にはない。遥か宙に。

「すみません・・・」

 小さくそう告げて、少年は瞼を閉じた。
 両の手をだらりと下げた、無防備な姿。「彼」はその白く細い首に己の指を絡ませ、力を少しだけ入れた。
 指先に軽い手応え。あまりにもあっけなく、少年を「永遠」に縛りつけていた繰り糸(コード)が断ち切られた。
 傾ぐ少年の身体。受け止めると見た目に違わぬ軽さに、少年が鉄塊から造られたことを忘れる。
 伏せた瞼を懸命に少年は開く。まるで、強い睡魔に抗うように。

「一つだけ・・・訊き忘れたことがあるんです」

「何だ?」

 自分一人では立っていられなくなった少年の身体を、「彼」は最初に座っていた椅子に下ろす。

「ボクたちも・・・ロボットも死んだら、星になれるのでしょうか?」

 星になったあのヒトに、宙でまた逢えるのだろうか。
 その声は、悲しい物語の結末が理解できず、ただ主人公の幸せを母親に尋ねる子供のよう。
 だから「彼」は、ひどく優しい声で答えを告げた。

「ああ、なれるとも・・・。星と同じように終わりを迎えられるお前なら」

 その言葉に、心底安心したように少年は微笑む。するとまた、トロンと瞼が重くなってきた。
 微睡の淵に立つ少年の目に、遥かな天上を思わせる「彼」の深い蒼の瞳が映る。否、少年にはもう現世は映っていない。見えてくるのは、

「お休みなさい、父様」

 夢の彼方にある星の海。
 そこから美しい蒼い瞳のあのヒトが、変わらない姿で少年に手を差し伸べている。

「お休み・・・良い夢を」

 輝く翡翠の双眸が、白い瞼に閉ざされた。
 永遠の命の糸を断ち切った人形は、今静かに眠りについた。
 「彼」は手を、動かなくなった人形からゆっくり離すと、目前に広がる宙を見つめる。
 星は絶えず、輝き続けていた。
 地上を去った魂の、還り逝く場所。
 そして少年の安らかな眠りを祈るように、星になった宙のどこかで、一番逢いたかったヒトに出逢えることを願うように、深く深く「彼」は頭を垂れた。

                    END


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